きぶんは年少さん

金爆と私と文化的生活

鬼龍院翔さんの作る曲の魅力と、ゴールデンボンバーというバンドの魅力について。

鬼龍院さんの曲はとにかく良いんだよ!ということを大前提に。

こちら以前書いた2曲分の好きなところ。
https://barairo.hateblo.jp/entry/2018/08/29/004238

この記事に「笑ってる内に気付いたらぶん殴られてる」と書きまして、そういうとこあるなあと今も思ってます。
あとは「笑ってる内に気付いたら手を引かれていたり、背中を押されている」とも思います。

ぼくは漫画家の島本和彦さんが好きなのですが、島本さんの漫画と鬼龍院さんの音楽に似た匂いを感じます。

私見ですが、島本和彦さんの漫画は振り切れていて、非常に熱血で血腥いのですが、同時に「熱い人間の愚かさ」を客観視してザッパリと断罪する冷酷さが同居してるんですよね。
だけどその上で「熱く生きること」や「そのようにしか生きられない人間」を力強く肯定してくれる。

鬼龍院翔さんの音楽も振り切れていて、「思い込みが激しくてネガティブでそのくせ自己愛の強いダメ人間」的メンタリティのものが多くて、でもそんな人間の苦悩をザッパリとダメ人間め〜!!と身も蓋も無く描きながら、時には笑い飛ばしていていたり、時には寄り添って肯定していたり。
その(ネガティブの)渦中にいないと書けないような、リアリティある歌詞なのに、その渦中にいると書けないような一歩先の希望だったり、笑い飛ばしちゃう強さがあるなあと思うわけです。

ちょっと長く解り難くなってしまいましたが……。
深い理解に基づく、当事者の共感を呼ぶ表現と、その先へと導いてくれる、強さのある表現の同居。
このへんが、島本和彦さんと似た匂いを感じた部分です。

音楽って一曲一曲、もしくは一枚のCD単位で評価されるものなのかなあとも思うのですが
「今夜も眠れない(病的な意味で)」
「ギーガー!」
「ワンマン不安」
「デスメンタル」
を書いた人の詩だと思ったら、
「イヤホン」
「らふぃおら」
「101回目の呪い」
の肯定的な詩って物凄く説得力を感じませんか?
(この人はこの詩を書いて発表するのには並々ならぬ覚悟があったのでは、的な)

ザ・パスト・マスターズ vol.1

ザ・パスト・マスターズ vol.1

ザ・ゴールデンベスト~Brassiere~

ザ・ゴールデンベスト~Brassiere~

101回目の呪い

101回目の呪い

音楽に癒されることを拒否するひねくれたどくろちゃんですが、らふぃおらは毎日聴きたいくらい最高だし、励まされてしまうぜ。

乱文極まってますが。
だからつまり最高で、好き。

ーーー

そして、ゴールデンボンバーというバンドの魅力です。

鬼龍院さんの曲については長々と書きましたが、誤解を恐れずに言い切ると、鬼龍院さんの曲はむちゃくちゃ暗いのだ!!!
暗くてネガティブな方向に振り切れてるのだ!!!
(そして、そこが何より最高なのだけど)
鬼龍院さんは勿論その曲のポテンシャルをライブでもドしっかりと余すこと無く表現なさる。

ではソロではなくバンドで表現することの魅力はと言うと、私にとっては「バンドだと丁度ええ!」ということです。
なにが丁度いいのかというと、暗さの中和というか、クッションというか。

生ライブを観ていなくてDVDのみ観た状態での感想ではあるのですが……。

とにかく喜矢武豊樽美酒研二が無邪気。
無茶苦茶生きていて楽しそうで、愛さずにはいられないし、また愛されることに慣れてそうなんだなぁ。存在が明るい。(喜矢武さんに関しては天然のそれでは無く、ステージングの都合上なのかなあと思う所もあるのですが、研二さんは天然の、もしくは天性のにおいがする。)
このふたりが無茶苦茶空気を明るくしてくれるので、容赦なく暗い音楽を浴びても爽やかというか、「丁度ええ」のだ。

この公演、研二さんの人柄のいいところが大爆発してます。

暗さは魅力なので、それを手加減されると物足りなくなってしまいそうなところを、容赦無き陽の二人がビカビカしてくれるのが心地よい。
この二人の明るさがあるからこそ、鬼龍院さんは思い切り歌えるのではないかな。というハッピーな解釈をしています。
(不穏なロングインタビューもあるけど!)

また、やはり暗さは魅力なので、とにかくそれに浸りたいという欲求もこのバンドは叶えてくれる。
歌広場淳だ。
芯からバンギャと銘打つ彼は、流石、このバンドの音楽を愛する人間の心を深く理解してくれている頼もしさがある。
彼はMCの間、舌っ足らずで特徴的な口調で、恥ずかしそうに笑顔で武装した雰囲気で、どこか人前が苦手そうな気配すら感じさせる。
が、ひとたび曲に入ると人が変わったように陶酔し、熱狂し、強気で煽る。
意図していない気もするが、その豹変は「普段はどうあれ音楽が鳴っている間は好きに暴れていいよ」という聴衆に対するメッセージのようで、これまた心地よい。

全国ツアー2015「歌広、金爆やめるってよ」at 国立代々木競技場第一体育館 2015.11.13 (通常盤)

全国ツアー2015「歌広、金爆やめるってよ」at 国立代々木競技場第一体育館 2015.11.13 (通常盤)

鬼龍院さんの曲に深く共感してしまうタイプの方はライブで
鬼龍院さんの歌に浸って心揺さぶられて
歌広場さんの姿に共鳴してライブに身を委ねて
研二さんの姿に思わず笑って肩の力が抜けて
陰の方向への自己解放と解放後のケアを同時にされちゃうのではないでしょうか。

喜矢武さんに関してはもうひとつ。
彼の必死なギターソロは泣けてしまいませんか。
めちゃめちゃふざけて、にこにこしながら体を張って、楽器に興味無いんですよとテレビで嘯きながら、下手糞と罵られ笑いの要素にされつつ、ライブではギターを弾く。
鬼龍院翔の音楽を担いでバンドをやると決めた喜矢武さんの覚悟と、鬼龍院さんとの絆を感じてしまうのだ。
何だったら、テレビで曲や楽器に興味無いんですよと嘯く姿や無茶なパフォーマンスをする姿も、エアーバンドに対して否定的な人間の視線は鬼龍院さんではなく自分に向けろというレベルの強い裏打ちがあるようにも見える。

(キャンハゲを貼りたいところですが未見&未入手。)

ううーん、これもハッピーすぎる解釈かもしれないけど……。

5周年まとめ本を読んでいたら(主に2009年前後の記述で)喜矢武豊という男はとても能動的にゴールデンボンバーを造ってるというか、ゴールデンボンバーの音楽以外の要素にとって血液のような存在では無いか?と思ってですね……。

いや〜!!わかりませんが!!

とにかくなんだかデリケートそうな鬼龍院さんが、こんな個性豊かな面々とひとつの舞台を長く創り続けていると言うこと自体が、ネガティブな我等にとっては救いだな!って感じがします(^-^)

まとめが雑すぎるけど、現状こんなところで。
RRバックナンバー等の書籍で各メンバーの自意識などもっと勉強したいところです!

以上!解散!お疲れ様でした!!!